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流(ながれ)とは、福岡県福岡市博多区の博多における複数の町の集合体の呼称。 == 概要 == 那珂川・御笠川・博多湾・房州堀(およそ現在の国体道路国道202号)に囲まれた狭義としての博多は、安土桃山時代までは自治都市として栄えたが戦火により荒廃。九州征伐を終えた豊臣秀吉は1587年に博多の復興を構想、黒田孝高(如水)に立案させ、石田三成をはじめ滝川雄利・長束正家・小西行長・山崎片家らを復興事業にあたらせた。この区画整理事業は太閤町割りと呼ばれる。神屋宗湛や島井宗室も援助を行った。町割りに際して秀吉は東西および南北の町筋(通り)の数を七条袈裟になぞらえて7本とし、町筋に面した家々を地区ごとに1つの町とした。いわゆる背割り方式であり(現代は街区方式が主流)、町筋を挟んだ向かいの家々も同じ町内であるが、裏手にある家は別の町に属した。そして町筋ごとに「流」という町の集合体を形成させた。流は自治組織上および行政上、町の上位行政区画でもある。 「流」という呼称は、小川や旗の当時の数え方に由来するという説や、黒田孝高故地の播磨国での池の数え方に由来するという説などがあるが、明確ではない。 時代を経て現在では行政上の意味はなくなったが、博多松囃子や博多祇園山笠といった大規模な祭事はこの流単位で執り行われている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「流 (博多)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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